2016_04
02
(Sat)00:00

Mother









薄暗い台所。

 
乱雑なダイニングテーブルの片隅に、温かな食事の湯気が立ち上る。




膝を抱えたまま向かいの席で、長袖の端を少しだけ伸ばしてその男はマグカップを持って珈琲を啜っていた。

「おはよ…」

「おはよう。今日は朝からビビンバにしてみたけど、食欲無い?」

「ん、いや、大丈夫」

「そっ。じゃあ良かった」


俺が口にスプーンを突っ込むのをひたすら、そいつは眺めていた。
「うまいよ」と。一言感想を述べれば、口元を押さえて目を細めた。




兄でも弟でも無い。
まして、従兄弟でも遠い親戚筋の子でも無い。

不思議な同居人ーーー、シム・チャンミン。






父は俺が中学生の時に体調の不良を訴え出して、検査結果で癌と診断をされた時にはステージ4だった。

それから亡くなるまでは年齢の所為もあってあっと言う間だったと思う。

と言うのも…
あの時は死期を突き付けられた父よりも、突然の宣告にパニックを起こした母を支える事の方に必死で。
あの頃の事は正直、あまり記憶に無いからだ。

そう考えると、父の最期は寂しいものだったと今は悔いる気持ちも湧き起こるけれど。

そう思えるまでに至るには、母にも俺にも様々な道のりがあったと言う事なんだ。




ーーー母は。

父を失ってから、何かに縋って生きたかったんだろうな。
根が真面目な人で。堅い職業に就いていた手前、心のバランスが崩れた部分を何かで埋めたくて。
それを、何故か。

男で埋めようとしたんだ。

ある時は父と変わらない年齢の男、ある時は俺と母の丁度中間くらい年齢の男。

それなりにどの男とも続いていた気がしたけれど、どの男も、俺には一切関わろうとはしなかった。

俺は、それで別に良かった。



なのにーーー、シム・チャンミンだけは何かが違って。

母と、同じ寝室で寝ながら同居している俺には男女の関係を匂わせる音すら無く。
ある日、夜中に目が覚めてトイレに立った際に、俺は魔が差して。
寝室のドアが開いていたのを気付いて少しだけ覗いた事があったんだけど。

その時、チャンミンも起きていて。
隣で眠る母の髪を優しく撫でていただけで。
しかも覗いた俺に気付いてベッドからそっと抜け出すと。

何も言わずに俺の手を引いて、俺の部屋のベッドに潜り込んで、そしてーー

俺を抱き締めて子守唄を歌ったんだ。

それから毎晩、母が眠りに落ちるとは俺の部屋にやって来て。
俺が起きていれば、少し話をして。
そして、二人で狭いベッドで眠りに落ちた。

その事を母は何か言うでもなく。
チャンミンもまた、それが新しい生活のルーティーンの様に当たり前にしようとしていた。


その後も、チャンミンは三人の生活の中に新しい風を吹き込み続け。
朝は忙しい母の代わりに台所に立って朝食を作り。
元々、朝食をみんなで食べる習慣の無かった我が家は相変わらず起きる時間もバラバラだったけど。
それでもチャンミンは一人ずつと時間を合わせて食事の支度を心掛けたんだ。

すると、俺も初めこそ起きる時間が安定していなかったのに。
段々とチャンミンに合わせて起きるようになって来て。

"おはよ"と言えば"おはよう"と。
当たり前の挨拶が交わされる日常にいつしか馴染んでいた。


そして、ある晩。
いつものようにチャンミンは母が寝静まったタイミングで俺の部屋へと来ると。

「ね、ユノは彼女とか好きな子とかいる?」って、普通に異性の話題を振って来るから何となくピンと来て。

「チャンミンは好きな子がいるんだ」って言ったら、案の定図星。

照れて。耳まで真っ赤にして。
何でこんなに素直で良い奴が自分の母親なんかと一緒にいるんだろって、正直俺はそう思ったんだ。

ーーーそしたら。

「………でも、僕は駄目なんだ」と。



チャンミンはEDだって。

もう何年もそんな状態で、心因性なのか、身体的なのか。
いくら調べても状態が改善される事も無くて。
それで色んな事に諦めてた頃、俺の母と出逢い。

そして、俺とも出逢って。

眠れない親子の為に自分が居ると思ったら、また前向きな気持ちが生まれて来たって………


チャンミン。

そっか、俺が眠れて無い事にも気付いてたんだ。


だから。

俺も、チャンミンの為に力になれるならなりたいと思った。





でもーーーー、

チャンミンが好きになった子はチャンミンの告白自体はオッケーしたんだけど。
EDだって事を受け入れる事は出来なかったって。
それを後から教えられて。

けれど、チャンミンは何だか吹っ切れた感じにあまり気にしてないみたいだったから。
俺もさほど大袈裟に騒がずに「チャンミンの良さが分かんないなら、早々に別れて正解だって」そう言ったんだ。

そしたらチャンミンはその言葉を凄く嬉しいって言ってた。



そりゃ、本当の事だし。

EDじゃなきゃこんな欠陥だらけの親子に関わる事なんて無い位の凄く凄く良い奴だもの、チャンミンは。

でも。

その夜はチャンミンはやっぱり落ち込んでたのかな。

「………どうしてユノはモテる感じがするのに彼女を作らないんだよ」ってさ。

遂に俺の痛い所を突っついて来たんだ。

いや、正常に動作する物を使わないのが可笑しいって思ったチャンミンの方が正しいんだけど。
俺には痛いんだ、急所並みに。


所謂、女性不信って奴なんだ、俺って。

父と母はお互いに真面目が取り柄で夫婦仲も悪くは無かったし、だからこそ母の現状に至るまでの過程が信じられない事ばかりで。

それを納得して受け入れていく内に、いつの間にか俺の方が女が駄目になってたんだ。

母は自分の親だから別物として考えられるけど、彼女とかとなると何だか上手くいかなくて。

原因は母親にあるのに、その本人とは一緒に居られるってのも不思議だと思うんだけど。
それでも一度も見捨てるとか、離れようとは思わなかった。

それをチャンミンに初めて話したら。

「ユノはーーー」

マザコンだねって。



多分、他の奴に言われたらぶん殴ってる台詞だけど。
チャンミンが言ったから、何だか素直にストンと胸に落ちた。




だからこうして、母からの直接的な愛情は無くても。
同じ家にその存在を感じていれば俺はいいわけなんだ。

それに、今は。

チャンミンが俺の事を母の代わりに愛情を注いでくれてるような、そんな不思議な状態でもあるから。
尚更、俺はこの家からも離れる事が出来ないでいるしーーー


お互いに秘密を打ち明けた事によって、それまで以上にチャンミンとの距離が縮まった夜だった。

今まで俺は抱き締められるだけだったのに。
その日はそっと手を、チャンミンの背中に回してみて。トントン、と。
「なになに、僕をあやしてくれるんだ」ってくすくす笑ってた。

俺には23歳の、母であり、友人であり、時々、息子のチャンミンが必要だったんだ。




それから、春が来て。
暑い夏が来て。
ここら辺で母が家を出て。

そして、冬になる頃。
家にはチャンミンと二人きりになり。

それでも俺達はまだあの狭いベッドでくっ付いて寝ていて。

母が家を出た秋頃からチャンミンがふざけ半分でやり出した遊びが、冬には完全に二人の時間を支配し始めていた。


その遊びってのはある朝の出来事が始まりで。
チャンミンと丸まりながらまだ俺だけが夢の中にいた時の話だけど。

何だか違和感と言うか、例えようがない刺激が下半身を襲う感じに目が覚めて。
まだ半覚醒のままでチャンミンを呼んだら、返事の代わりにくすくすと笑う声が返って来て。
チャンミンは俺の朝勃ちを弄くって遊んでいたんだ。

そして、チャンミンは暫くそれを弄り回して。
俺は俺で、チャンミンの意図も掴めずに制止する事もせずに扱かれていただけで。

「ね、ユノは女性が駄目だよね」

「うん」

「僕は勃たないしね」

「あぁ」

「だからさ。ユノは僕とすればいいと思うんだけど」


本当、何を言い出すんだろうって。
でもあまりに驚いた時は声も出なくなるって事も知らなくて。
呆気に取られていた間に、チャンミンは俺を扱き上げてイカせたんだ。

結局、俺はその提案にイエスともノーとも答えないままに。
それでもチャンミンはその事を生活の一部にまた追加した。



「ッ、、」

「ここ良いの?」

「、、んっ…あぁ、すげぇいい、、」

「ふーん」


今みたいにチャンミンが俺の上に乗れるようになったのはつい最近の事だから。
またこうやって二人で初めた頃のように手探り状態。

初めての時はもう、それは酷かった。
お互い素面で男の身体を弄くってんのが可笑しくて可笑しくて。
少し触れば笑いが起こって、ちっともそんな雰囲気になるわけもなく。
「やっぱり無理だって」と言う俺に対して。
「慣れるって!!」と割と強情なチャンミン。
でも、そのやり取りも何だか楽しいし。

そして、本当にチャンミンの言うように少しずつその行為にも慣れて来ると。
俺は勿論、イイコトだらけだし。行為自体を嫌だとは思う事も無く。
チャンミンは言い出しっぺだからか、嫌な素振りは全く見せなかったから。

チャンミンの体温を感じると、自然と抱きたいと思うようにもなっていったんだ。


でも、俺はあんまり男同士でのそういった行為の事をよく勉強はしていなかった為に。
チャンミンに訪れた突然の変化に戸惑った。

勃たないチャンミンの身体にも。
感じる場所があるって事を知ってしまった時はもう俺はチャンミンに

ーーーーーー堕ちていた。


ふわふわと笑う印象しか知らなかったチャンミンが、俺の知ってるチャンミンじゃ無くなり。

その姿を見る度に鼓動が高鳴っていたんだ。




「おはよ…」

「おはよう。ごめん、今日は寝坊したからハムエッグだけ」

へへ、と笑って少し舌を出した仕草だけで鼓動が早まるとか。
本当、俺は重症だ。

「ん~なになに、朝からしたいの?」

「うん」

「じゃあ。しよっか」


チャンミンにとってはこれは運動をする感覚のようなもんなんだと思う。
俺がその気になればいつだって「いいよ」って答えてくれてた。

だからこそ、俺の気持ちが本気だって。

言い出す事は出来なかったんだ。



それでも俺はまだこの生活が心地良くって。
マザコンな筈の俺は母が出た後もこの家を離れる気なんて起きずにいて。

けれど、チャンミンの方はその間にアルバイト先で社員に昇格するというめでたい話を持ち込んだり。
少しずつ俺との生活の時間帯にもズレが出始めたりして。

いつか。

チャンミンがこの家を出て行く日を薄っすらと感じさせたんだ。




そして、遂に。


「あのね、子供が欲しいんだ」


って。




乱雑だったダイニングテーブルは今はすっきりと片付き。
それはチャンミンがこの台所の主になってからどんどんと綺麗になっていった事を。
こんな時に改めて気付いていた俺の心は虚ろだった。

目の前では。

昔から子供が好きで、EDになって諦めた時は本当に死んだ気持ちになった、とか。
チャンミンはポツリポツリと想いを口にしていたのに。
やっぱり俺の心はここに在らずで。

チャンミンが出て行くキッカケを引き留める術も思い浮かばなかった。


それでもチャンミンの口は止まらず。

「僕もちゃんと仕事出来てるし、ユノにももう頼らなくても大丈夫だと思うんだけど。ね、どう思う?」

って…

それを何て返せばいいんだろう。


「ユノは…僕には無理だって思ってる?」


チャンミンの新しいスタートを。
俺の知らない誰かとの始まりを。

心の底からは祝福なんて出来ないけれど。


「………無理じゃない。チャンミンなら出来るよ」


そう返すだけで精一杯だった。



その答えをチャンミンはずっと息を飲んで待っていたようで。

「良かった!!有難うっ!!」


叫んだと同時に部屋を飛び出して。
バタバタと戻って来た時にはーーーーーーーー




腕いっぱいの花束を抱え。




「断られたらどうしようかと思った」

と、笑い。


「あれ?どうしたの??あっそっか!ちゃんと言わなきゃ分からないよね」

と、言うなり跪き。


「これね、108本あるんだけど。その意味がね」

ふふふ、と笑うと。


「"結婚して下さい"って事なんだって。ちょっとキザだった?」

ーーーーーーーーーって。








チャンミンは腹を抱えて笑った。

俺が。
チャンミンがこの家を出て、女性と子供を作るんだって勘違いしていた事を。


「なんでそうなるかな~!?だって僕は勃たないんだよ?あー、ユノってば面白い~」

「そうだけど、、今の医療ならそんなのどうにかなるんじゃないかと…」


俺は、良くわかんないけど、チャンミンとただ一緒に居たかっただけで。
深くなんて考えた事も無かったけど。
チャンミンは色々と考えた末に、俺の精子を使って代理出産の答えに辿り着いたらしく。



「でも…なんで結婚なわけ?」

これには流石のチャンミンも目をまん丸くし。

「ユノと僕って付き合ってるんでしょ!?」

って。


それに対しての俺の反応は。


「えッ!?」




これにも流石に怒ってたっけ。




でも。

俺の事をチャンミンが好きだと想っていてくれた事実は。

俺の未来をうんと明るくしたんだ。












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